連載
消えたオトコ社会 生きづらい世界で俺たちは

労働で求めているものはお金でもなくぜいたくでもなく”エロス”だった?

女性に寄り添い、文字通り“裸の付き合い”をしてきたアダルトビデオ監督・二村ヒトシほど、女性の本音を知る者はいない。“男でありながら女性の代弁者”という稀有な存在が辿りついたのは、「男も女も微塵も差がない」ということだった。

 

かつて社会は「男の社会」と「女の社会」という2つの均衡した世界だったが、今は女性の社会進出により「男女の社会」と「女の社会」に変わった、と二村ヒトシは語る――。

 

アダルトビデオ監督という肩書きを持ちながら、ジェンダー論を展開してきた二村が、各界のキーパーソンを訪ね、現代の男たちが抱える生きづらさの正体を探っていく。

 

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対談第1回目では日本人の怒りの根源について第2回目では「男らしさ」と「女らしさ」について激論を交わしてきた精神科医・名越康文と二村ヒトシ。第3回目となる今回は我々の抱える生きづらさに迫る。

 

二村いわく、「ネットのせいで自我が拡大し過ぎた」ために生きづらさを感じやすくなったそうだが、本性が丸裸にされてしまう世の中で、生きづらさを解消する方法はあるのか。二村と名越、最後の論戦を展開する。

 

撮影:山田英博 文:富山英三郎

二村ヒトシ(にむら・ひとし)

AV監督

二村ヒトシ(にむら・ひとし)

1964年、東京都出身。慶應義塾大学を中退後、AV男優から監督に。痴女やレズビアン、女装子、ふたなり等ジェンダー(性的な役割)を越境する作風を得意とし、メーカー「MotheRs」「美少年出版社」を主宰。恋愛関係の書籍も多数あり、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』『すべてはモテるためである』(ともにイースト・プレス)などほか。働く女性のための結婚相談サービス「キャリ婚」にて、現在恋愛相談を行っている。

名越康文(なこし・やすふみ)

精神科医

名越康文(なこし・やすふみ)

1960年、奈良県出身。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。臨床に携わる一方でテレビやラジオ、雑誌などでも活躍。映画評論や漫画分析なども得意。著書に『僕たちの居場所論』(共著/KADOKAWA)『『男はつらいよ』の幸福論 寅さんが僕らに教えてくれたこと』(日経BP社)などがある。

皆、働いてぜいたくがしたいわけではなく、物語をほしがっている

 

名越康文(以下、名越):これまでの「男は黙ってサッポロビール」の呪いや、「男であろうとする」というお話から、記号としての「男らしさ」こそが「生きづらさ」の元凶にあるということですよね。では、そもそも多くの人が思っている「男らしさ」とは、いつ生まれたものなのでしょうか?

 

二村ヒトシ(以下、二村):第1回で話した「男は黙ってサッポロビール」というのは、高度成長期に合わせた価値観。さらに大昔、前近代の封建社会では、そもそも男と女は違う生き物だと思われていたわけです。

 

名越:侍の場合、男と女はあまり一緒にいてはいけないと考えられていた。侍は名目上いつか戦場に行くという前提で日常を過ごすわけで、いわゆる家族愛とかはそんなに深くはないし、前提として深く置けないんです。

 

二村:日本の武家社会では衆道(※1)が一般的でしたし、西洋では古代ギリシャ・ローマ時代もそうだったと言います。男女のセックスだけが「まとも」だという概念は、「産めよ増やせよ」を奨励するユダヤ教やキリスト教が、同性愛を禁じたことで広まったのでしょう(ただし、現代のキリスト教では同性愛を禁じていない宗派もあります)(※2)。日本人の多くはキリスト教徒ではありませんが、現代人の恋愛観は、キリスト教の影響を強く受けています。

 

逆に言うと、キリスト教の影響をそれほど受けていない世界においては、男女のセックスはあくまでも子どもを作って血縁を形成するためのもの。欲望のためのセックス、あるいは「関係を強固にするためのセックス」は、むしろ男同士でするほうが自然だった。

 

名越:絆を深めるためですよね。そもそも、生きるか死ぬかを一緒に戦うこと自体、すごいエクスタシーのはずですから。その名残が、セックスこそないですが、高度成長期までは企業戦士として、みんなで一緒に戦うオーガズムがあった。それが、かりそめの「男らしさ」になっていったんです。

 

二村:現代の男性社会で生きている男たちの多くは、男同士のセックスを気持ち悪がって差別する一方で、男同士つるむのが大好き。そして、お互いに男性性を期待して要求する。まあ、会社組織が「男だけの軍隊的な集団」としてうまく機能していた時代なら、かりそめの「男らしさ」でも問題なかったんだろうと思うんですが……。

 

名越:でも、今は年功序列も、終身雇用も崩壊して、働くうえでの男同士のエロスは消えているはずなんですよ。戦士的というか、疑似家族的なものがなくなって、スカスカになっているのに「もっと働け!」では、ただ疲弊するだけです。

 

二村:「上司の男気に惚れた!」みたいな話を聞かなくなりましたよね。それよりも、みんな「自分が必要とされている」みたいな物語がほしい。どちらにせよ人間は、ただ仕事があってお金を稼げる、というだけでは、くたびれてしまう。

 

自分が楽しく生きるには、どんな物語が得られれば満足なのか。それは一人ひとりの心に空いた穴の形によって違うはずなんです。「どうすれば自分が幸せなのか」を知ること、今の社会の常識にとらわれず、いろんな自分を知って「俺って、けっこう変態だったんだ……」と驚くことが、生きやすさにつながると僕は思います。

画像:二村ヒトシ

収入と仕事の楽しさがイコールであるべき

 

名越:ここ最近は、あぶく銭のように1億円がドーンと手に入るようなお金持ちが増えている気がします。つまり、実感をともなわない収入。でもこれは本当の盲点だと僕は思うのですが、1億得ても人生は続いていくんです。そうなると、次にどうやって1億円を超えていいのか分からない。あれで1億円儲かったけど、今回は5000円とか。

 

二村:貧困はリアルに怖いけど、金持ちになるというイメージはなんだか薄っぺらいですよね。僕は自分のいる業界のことしか知りませんが、AV制作の現場仕事はサラリーマンとして勤めていると相当ブラックです。フリーランスになって、要領が良ければあっという間に高収入になるんですが、やりがいや熱意を見失うとすぐに転落する。心を病む人も少なくない

 

いつ殺されるかマジで分からない戦国時代や、この会社を大きくするんだと粉骨砕身した高度成長期は、やるべきことが明確だったでしょうね。やりとげたときには「やりがいがあった!」「気持ち良かった!」と脳内麻薬”が出る。それは男性が射精するのと似ていたでしょう。でも今の、達成感が持ちにくい社会では、射精のようなドーパミン系の快楽すら得にくい。あるいは得られても、どこか虚しい。賢者タイムが来ちゃう(笑)。

 

名越:つまり、対象のあるオーガズムですよね。フロイトの理論的に訳せば、現代は「やったぜ!」と肩を抱き合う仲間と、年功序列や終身雇用のようなパーマネント(半永久的)な関係性がないから、「これはオナニーだったのかも?」という感覚になってしまう。

 

でも、それってバブルの後遺症みたいなもので。かつてのように、100万人に売れるモノを作ろうとすると誰にでもウケる実質の薄いものになって、受け手側も消耗品として粗雑に扱うようになる。そういうことをうまくやっていける人は収入を得て、食っていけるんだろうけど。一方で、二村さんのように探究心を満足させる方向もあるわけで。

 

私の場合は、作詞作曲をしてライブをするために10万円払ったりしているけど、心はすごく平和。そうやって二足のわらじを履くしかないんじゃないかな。

 

二村:そう考えると、もしかしたら今の若い世代は、そんなに「生きづらい」とは思っていないのかもしれないですね。

 

名越:バブルを知らない世代はそうかもしれないですね。『For M』の読者層である30、40代が最後かもしれない。

 

※1:衆道……しゅどう。男性の同性愛のなかでも、武家同士のものを指す。

※2:キリスト教の同性愛……同性愛は宗教上の罪とされていたが、今では肯定する動きが広まってきている。

 

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