連載
ビジネスマンたちよ、ワイルドサイドを歩け

水道橋博士、星をたくさん見つけること、その星々が「人生の出口」になる Vol.2

人生の岐路で思い悩んでいる30~40代のビジネスマンたちに“追い風”を与える連載企画──今回ご登場いただいたのは、今なおインディペンデンスなスタンスでお笑い界に一石を投じ続ける漫才コンビ「浅草キッド」の水道橋博士さん。

 

第1回では「仕事に行き詰まりを感じるのは“会社に殉じる”という感覚がないから」という自身のエピソードを交えた痛烈なメッセージをもって「人生の出口となる師匠を探せ!」と断言してくれた。第2回となる今回は、水道橋博士の人生を変えた大イベントのひとつ「結婚について」たっぷりと語ってもらった。

 

写真:佐坂和也 文:山田ゴメス

水道橋博士

浅草キッド

水道橋博士

漫才師。1962年8月岡山県倉敷市生まれ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、「浅草フランス座」での住み込み生活を経て、1987年に玉袋筋太郎と漫才コンビ「浅草キッド」を結成。1990年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、1992年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。文筆・俳優・コメンテーターと多彩な顔を持ち、その深い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまでおよぶ。『はかせのはなし』(KADOKAWA)、『藝人春秋』(文春文庫)、『キッドのもと』(ちくま文庫・浅草キッド共著)ほか、著書多数。

師匠・ビートたけしのもとで芸人修行に明け暮れ、当時は「明日死んでもいい」くらいに遊び倒していた“独身主義者”の水道橋橋博士は41歳になる年、突如結婚へと踏み切った。昔を知る人には100%「結婚してから人が変わりましたね」と言われるらしい。傍から見ると博士の入籍は「予想を大きく裏切る」かたちとなったわけだが、自身としては明らかなきっかけがあったのだと言う。

 

「ある日、トーク番組『おしゃれカンケイ』に、関根勤さんがゲストで出演していたのね。芸人であるにも関わらず、女性スキャンダルは皆無。そんな関根さんに、司会の古舘伊知郎さんが『その秘訣は何?』と質問したんだけど、そのときの関根さんの答えに虚を突かれちゃって……。

 

‟自分の娘が産まれたとき、どれほど子どもを尊いと思ったか分からない。

 

でも、同時に、子どもを産んでくれたカミさん、さらに、そのカミさんを産んでくれた、カミさんの両親に感謝した。自分が初めて産まれた子どもに寄せる無償の愛情と同じく、カミさんの両親も、カミさんの誕生を同じ想いで見ていただろう。

 

どれほど、この子が人生に嘆くことなく、幸せになってほしいと願ったことか。その両親に『幸せにします』と誓ったはずなのだから、それを思うと、決してカミさんを傷つけたり、泣かせるようなことはできないんです“

 

ちょうどコレを聞いたのが謹慎期間(※「運転免許証の写真を笑えるものにする」という動機から紛失を偽って免許証を3度再取得。返納すべき免許証をいくつかのテレビ番組で披露したことによって不正が発覚し、道路交通法違反で書類送検。4ヵ月の芸能活動自粛を余儀なくされた)のころだったっていうのもあるのかなぁ?

 

とにかく心境がガラッと変わったの。それと、そのころ見た談志師匠のドキュメンタリーで、『カミさんは長く一緒に住んでいると、かけがえのないものになるんだ』って諭す話があってね。そのふたつにやられたんだ」

 

画像:2枚目

――若いころは「家庭的な芸人にはなりたくない!」と無理やり無頼を気取っていた……。しかし、ビートたけしのような“超人的英雄”にしか許されないこの“特権”を追い求めていくにつれ、「家庭を省みることなく大それた仕事をやってのける、表現者に必須とされる狂気に身を任せるには器が必要だ」と、水道橋博士は実感していく。

 

「師匠である殿(=ビートたけし)を前にして、『俺程度の芸人では私生活の破天荒さと芸の両立はできない』と薄々悟りつつあったんだろうね。そんなときに出会ったのが今のカミさん。自らのホームページ内に作った、新たな出会いを求めての『合コンしま専科』なる怪しいバナー広告風のコーナーを介して知り合ったという、正直おふざけ半分の出会いだった。

 

でも、カミさんとの出会いが“単なる偶然”とはちょっと違うな……と、なんとなく思えるようなエピソードもあるんだよ」

 

>>水道橋博士の結婚を予告するような運命的(?)エピソードとは

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