連載
名刺を捨てた男◆第21回

母が芸人の夢を猛反対した本当の理由とは

■お兄ちゃんが芸人になったから僕はなれない

 

亜生は己の生き方と、初めて逆行することをしたのかもしれない。それまでの亜生は、ぼんやりと希望があっても現実的に難しいとなるとさっとあきらめて、切り替える。できる範囲で楽しみを見つけて、周りも巻き込んでハッピーにしてしまうという生き方。心根が優しいのだろう。その亜生が初めて周りと波風を立ててでもやり通したいと思ったことが「芸人」だった。

 

しかし、母親は息子たちが芸人になることをずっと反対していたため、亜生が相談していたのはいつも兄か父。母がそこまで反対していたのは、なぜだろうか。

 

実は母は関西芸人の雄、上岡龍太郎の妹だった。芸人の、そして芸人の家族の苦労を嫌というほど知っていた。ミキは、上岡龍太郎が叔父であることを下積み時代は隠しており、公表したのは2017年のことだ。

 

「『売れることがどれほど大変か。変なしがらみに捕らわれて、思うように生きられないのではないか』と、お母さんは思っていたんだと思います。芸人の世界を知っていましたし、2人の息子に芸人になることを許さなかったのでしょう」

 

けれども兄は母親の気持ちを振り切って芸人となり、今また弟もその道を歩もうとしている。母が 『兄に続いて弟もか』と大泣きしたというのも無理はない。亜生もその母の思いを知っているからこそ、兄が芸人になった時点で芸人への道をあきらめていたのだ。

 

画像:三木亜生

■大阪の兄のもとへ。オーディションで吉本入り

 

とはいえ、母も亜生に元気がないことを気にかけ兄に相談しており、亜生が「お兄ちゃんのところに行く」と言ったときには、安心したそうだ。しかしそれは後になって分かる話。

 

亜生は、もう迷わなかった。23歳の初春のことだ。

 

亜生が大阪に着いたとき、兄はコンビを解散してちょうどひとりになっていた。その前からちょくちょくと相談をしていたこともあり、兄は「おぉ来たか」と迎えてくれた。

 

2012年4月。2人は「ミキ」を結成する。結成したとはいえ、もちろんすぐに仕事はない。道路交通整備、駐車場などでアルバイトを続けつつ、吉本のオーディションを受け続け、2カ月で合格し、吉本興業の所属となる。多くの場合、吉本の養成所「NSC」に入学しお笑いを学ぶところ、数百組に1組という狭き門であるオーディションを突破して吉本興業所属となった。これは圧倒的な早さだった。

 

 

Next≫≫≫絶対に僕らは売れる。ただチャンスにめぐり合っていないだけ

 

 

◆取材当日は舞台の間の時間を使って、弟・亜生の単独取材。しかし、偶然通りかかった兄・昴生に撮影のお願いすると快くスタンド・イン。気さくに応じてくれた。

画像:スマートフォンはそのまま“下”へスクロール

TOP