連載
名刺を捨てた男◆第21回

ミキ・三木亜生、夢の漫才師になるまでの語られなかった真実

一体、サラリーマンとはなんなのか。かつて会社勤めをしていた著名人たちが会社員時代を語る――。“名刺を捨てた男たち” は当時、何を考えながら働いていたのか。仕事へのモチベーション、プライベートとの比重、そして夢への挑戦……。

 

ひとつだけ言えるのは、全身全霊その職務に取り組み、中途半端な仕事はしなかった。そして、その経験が活きているからこそ、彼らの「今」がある。その核心にせまるべく、「For M」編集部は“名刺を捨てた男たち”に単独インタビューを敢行した。

 

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ポンポンと歯切れのいい漫才を繰り広げ、ブレイク中の「ミキ」。特に女性に圧倒的な人気を誇るのが弟の亜生だ。彼は当初イルカの調教師を目指していたが、大学卒業後介護の会社に就職し、シルバー世代にも人気者だったらしい。さすがのモテ男。人たらしの亜生である。しかし、一体何がどうして「イルカの調教師→介護職→漫才師」となったのだろうか。まだメディアで語ったことのない、亜生が芸人になるまでの軌跡を語ってくれた。

 

写真:山田英博 文:宗像陽子

 

三木亜生

漫才師

三木亜生

1988年生まれ、京都生まれ。東海大学海洋学部卒業後、訪問介護の仕事に就き、介護士として地元の企業に就職。退職後、2012年に漫才コンビ「ミキ」を結成。相方の昴生は実の兄。2016年には数々のお笑いコンテストでタイトルを勝ち取り、2017年「M-1 グランプリ2017」では決勝に進出、第3位に輝いた。Instagramのフォロワーは25万フォローを越え、若者から支持も厚い。

画像:三木亜生

■プランクトンとともに過ごした海洋学部の日々

 

「僕ねえ。ほんまはイルカの調教師になりたくて、専門学校に行こうと思っていたんですよ」

 

人懐っこい笑顔で話し始めた亜生。舞台上と素顔はあまり変わらず、人気があるのはこの笑顔かとすぐに納得がいく。

 

「でも両親が大学は出ときなさいって。夢が変わるかもしれへんって」

 

「行かせてもらえるなら行ったろ」。そんな気持ちで日本で唯一海洋学部のある東海大学に入ったものの、受かったのは海洋地球科学科。通称、小型生物だ。イルカの調教師になるためには大型生物を扱う海洋生物学科に入らなければならなかったが、ちょっと違った。

 

2年次に転科するつもりで入学したものの成績優秀者でなければ転科はできず、大型生物どころかプランクトンなどの微生物などについて4年間学ぶことになる。

 

「学科で1番じゃなければ転科は無理やと言われて、ほなしゃあないなと4年間小型生物について学びました」とニコニコ。

 

「海洋生物科は、めっちゃ人気があるんです。卒業したらイルカの調教師になったり、動物園や水族園で働くこともできますし。なぜか海洋生物科はかわいい女の子ばっかり。僕らの学科は、男ばっかでした(笑)」

 

目指すところに行けなかったとしても、そこでまた楽しみを見つけるのが ”亜生流” だ。

 

「小型生物もおもしろかったですよ。1週間船に乗って漁をしたり、小動物の解剖をしたり、いろいろやらしてもらいました。楽しかったですね。

 

日本でもっとも水深の深い駿河湾の真ん中まで行って、4000mまで網落としてぶわーっと水揚げするんです。海底にいるプランクトンをみんなで顕微鏡で見て『こんなんありましたー!』と大騒ぎしたりして(笑)」

 

亜生の話を聞いていると「めっちゃ楽しかった」という言葉が頻繁に出てくる。人生を楽しむ達人なのだろうか。当初目指していた海洋生物科に行けなかったと言って腐ることもない。小型生物には小型生物で「楽しいこと」がたくさんあったからだ。

 

イルカの調教師を目指すのはあきらめた亜生。それならば、大学卒業をするまでに好きなことを見つけて働こうと考える。

 

画像:三木亜生

■フットサル大学選抜でプロの道を目指す?

 

次に職業として亜生が考えたのはフットサル選手だった。入学した東海大学は静岡にあり、サッカーやフットサルが盛んな土地柄だ。もともとサッカー少年だった亜生はフットサルに夢中になる。センスが良いのかぐんぐん力をつけた。静岡県の大学選抜に選ばれ、フットサルの選手になろうかという考えがちらつきだす。

 

3つ上の先輩にもFリーグの選抜に行かはった人がいたんで、僕もフットサル選手になろうかなと思いました。でもいろいろ調べたら、自分の技術的にも、当時のフットサル業界のシステムから言っても、フットサルで飯を食えている人はごくごく一部の人たち。食べていくのはちょっと厳しいなと。芸人と、フットサル、どちらもちょっと一か八かみたいなところがありましたね」

 

実は、芸人になりたいという気持ちも昔から持っていた。しかし大学1年のときには、兄が芸人としてデビューする。そのときは「あぁ、やられてしもうた」という気持ちだったという。

 

「僕もやりたいなぁと思っていたんですけれど、母親が反対をしていました。それを押し切って兄がなってしまったので、あぁ、ほんなら2人目は絶対無理やと思ってしまったんです」

 

イルカ調教師になる夢をあきらめ、フットサルも芸人も無理そうだ。「じゃ働こか」と。就職先を選ぶポイントは3つ。「地元で働く」「事務ではなく接客」「土日休み」。職種は何でもよかった。そして、いくつか受けたなかで、一番最初に内定をもらった会社に就職を決めた。そこは訪問介護の会社だった。

 

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