連載
名刺を捨てた男 #012 格闘家・角田信朗 01/04

大手商社の内定を蹴って空手道場の支部長へ

■50歳を過ぎて、力が入るボディビルディング

 

「現役のときよりも20kg軽くなっています。いまが一番、いい筋肉ですね」

 

そうニカッと笑った角田信朗さん。現役時代のいわゆる“格闘家体型”とはまったく変わってしまったボディラインに面食らう。とくに厚い筋肉でぶっとくなっていたウエストはぐぐっとシェイプされ、筋肉の質がまったく異なっているように見える。それもそのはず、角田さんはボディビルダーとしてすでに戦績を残しているのだから。

 

昨年、ボディビルダーとして初めて出場した「日本グアム親善 ボディビル選手権」では、なんと初出場初優勝(「ミドルクラス級・75kg超級」、「マスタークラス」は3位)の快挙を成し遂げた。今年は「地方連盟選手権大会 大阪クラス別ボディビル選手権」において「男子75kg超級」「マスターズ50歳以上」で優勝。9月18日に開催された「公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟主催選手権大会 日本マスターズボディビル選手権大会」では「男子50歳70㎏超級」で2位という素晴らしい成績を残している。

 

「人が10年かかるところを1年で仕上げました」とこともなげに言うが、これほどの筋肉を作り上げるのは並大抵の努力でなかったはずだ。

 

ただ、角田信朗は何においても、“そんなところ”があるように思う。空手家、格闘家というハードな面でも、俳優、タレント、歌手、声優といったソフトな面でも、また軽妙なトークも難なくこなす。どんなジャンルでも気合を入れれば、かなりのレベルでできるオトコなのである。

 

画像:2枚目

■いじめられっ子から強い男へ

 

とはいえそんな角田さんも、度重なる転校もあってか、気弱で内弁慶、いじめられっ子気質満載の少年だったという。ただし、クラスメイトからの洗礼が少年をオトコに変える、という事例は枚挙に暇がないが、角田さんにもどうやら当てはまったようだ。

 

「柔道、少林寺拳法を経て、極真会館芦原道場の門を叩いたのは17歳のとき。奈良支部ができると同時に入門しました。バイブルだったマンガ『空手バカ一代』で何度も読んだ“地獄稽古”があるのだと気合いを入れて行ったのに、拍子抜けするくらい普通の練習でした」

 

このときにはすでに空手で生きていこうと決めていたという。そして、そこで出会った石井和義さん――のちに正道会館を立ち上げ、格闘技イベント「K-1」を作り出す。石井館長と呼ばれる男――とは、17歳から55歳の今まで、ともに過ごすことになる。

 

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■有名大学、大手商社を経て「空手道」を志す

 

さて、空手に邁進するも“なんでもできてしまう”角田青年はその能力を学業でも発揮し、関西外国語大学外国語学部英米語学科にストレートで合格。大学生になり、ますます空手漬けの日々を送ることになる。しかし、石井館長は極真会館を離れ、新たに正道館(現・正道会館)を立ち上げる。1980年、角田さんが大学在学中のことだ。

 

「一緒に歩み始めたことに明らかな理由はありません。たぶん……石井館長と周波数が合ったのだと思います」

 

その後、1年ほど余計に勉強をし、中学、高校の英語教員免許を取得。1985年、無事に大学を卒業する。

 

「実は就職活動のとき、『日商岩井』からも話があったんです。そんなときも頭は空手でいっぱい。『空手のチャンピオンを目指しているんで』と断りました。今思えば、もったいない話ですよね(笑)」

 

そんな折にオープンの運びとなったのが正道会館神戸支部。突如、支部長を任命された角田さんは、「空手でご飯が食べられる」と、飛びついたそうだ。

 

≫≫≫空手家よりも向いていたプロの道

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