連載
名刺を捨てた男 #010 ラッパー・Zeebra 02/04

自暴自棄になって、すべてをヒップホップに注いだ

■タイムリミットは半年間。1分1秒も無駄にしない

 

「前妻とうまくいかなくなって別居することになったんです。その直接的な原因が向こうにあったから、俺は子どもを連れて祖父母の家に転がり込んで。おばあさんには『半年以内に結果を出すから時間をくれ』って頼んで、会社を辞めて音楽に専念する時間を作ったんです」

 

夫婦関係が崩れ、小さい子どもを連れて実家に戻り、さらには会社も辞めてしまったジブラさん。まさに波乱の時期だった。

 

「正直、その時期は自暴自棄みたいな気持ちになってましたね……。でも、いま奮起しないでどうするんだって。それからは1分1秒を惜しんで、新しい曲を作って、デモテープを作って、ヒップホップの『ヒ』の字がつく現場にはすべて顔を出して、あれしてこれしてってやってましたよ。自分のなかでタイムリミットを決めて動いたからこそ、いつもの3倍、4倍動けたのかもしれないですね」

 

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■すべての時間を音楽に捧げる日々

 

約束の半年後には、若者向け雑誌に名前が出たりと徐々に露出も増えていった。若手アーティストとして取り上げられることもあったが、来日した海外アーティストのインタビューや原稿起こしなど、ライターとしての仕事もしていたという。

 

「そういう活動の証拠を見せながら、居候期間を半年ずつ伸ばしてもらいました。最終的にそれから2年半で『キングギドラ』のファーストアルバムまで漕ぎつけたんです。本当はもっと早くに出せたんですけど、取り分やプロモーションの仕方とか、多少の権利は守りたいっていうのもあって、納得できる契約を結べるまでに時間がかかりました。

 

そんな感じだから、アルバムを出す前から月に40本とかライブはしてましたよ。1回のステージ1万円で1晩に3カ所とか、あとは海外アーティストの雑誌インタビューの通訳とかね」

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■いちアーティストから組織を作る立場へ

 

会社を辞めてから音楽関係以外の仕事は一切せず、当時の収入はすべて“音楽”で生み出していたというから、その徹底ぶりは並大抵のものではなかったことが分かる。

 

1995年に発売された「キングギドラ」のアルバム『空からの力』は、ヒップホップシーンに大きな影響を与え、日本のヒップホップが盛り上がるきっかけとなった。その後の活躍はご存知の通り。その一方で、「UBG」と呼ばれるアーティスト集団を結成したり、音楽レーベルを立ち上げたりと、自らが組織を作る立場にもなっていた。

 

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この情報は2016年7月23日現在のものです。

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