連載
名刺を捨てた男 #010 ラッパー・Zeebra 01/04

夢を諦めて社会に取り込まれる葛藤

■20歳で子供を授かり、結婚。人生の岐路に立つ

 

慶應の幼稚舎から普通部へと進み、夏休みにはアメリカのテニスキャンプに参加するなど、良家のお坊ちゃんとして育ったZeebraさん。しかし、恵まれた環境のなかで、常にアウェイ感があったという。そこには、小学4年のときに起きた祖父・横井英樹氏の事件の影響もあったのだろう。

 

一方、明るく人気者だったため先輩たちから可愛がられ、早くから渋谷や六本木で遊び始めるようになり、中学2年で早くも落第。その後もストリートで学び続けるなか、ヒップホップに夢中になり、クラブDJとしてのキャリアをスタートさせていく。

 

そして、DJとしてこれからという20歳のときに子どもを授かり結婚。人生の歯車は大きく変化していった。

 

「前妻の親御さんに、DJなんて水商売の奴にうちの娘をやれないと言われて。それで、向こうの親戚のツテで、オバさん向けの洋服を輸入販売している会社に就職したんです。そのときは辛かったですね。夢を諦めることになったわけだし、しかも当時のヒップホップは反体制的なメッセージが強かったから、そっち側に取り込まれてしまう感覚もあって」

 

そんな葛藤を抱えながらも、親としてサラリーマンとして、子どもを育てていく決意をしたZeebraさん。その背中を押したのもまたヒップホップだった。

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■父親として生きることも“ヒップホップ”

 

「U.S.ではベイビーマザーやベイビーファザーが多くて。そういう状況に対して、しっかり父親になれっていうメッセージを込めた『Be A Father To Your Child』(Ed O.G. & Da Bulldogs/1991年)って曲を聴いたときに、グッときて。それで、自分も父親としてちゃんと生きることがヒップホップだと感じてサラリーマンを始めたんです」

 

思いがけずスタートした新しい人生。会社勤めで一番辛かったのは、朝起きることだったとか。それもそのはず、15歳でドロップアウトしてから規則正しい生活とは無縁の日々を送ってきた。

 

「ストレスもあったのかな、今より10kgくらい太っちゃって。精神的にもいっちゃってたから、対人恐怖症になってたんですよ。というのも、当時(1988~1989年頃)のU.S.ヒップホップは権利の主張とか、コミュニティを作っていかに前向きにやっていくかみたいなメッセージが強かった時代。でも、あの頃の日本は今と違って、問題意識を持った若者カルチャーが一切なくて、本当に世間とのズレに絶望してたんです。わーきゃーやってるチャラい日本が、すごくイヤだった」

 

 

その一例として挙げてくれたのが、ネルソン・マンデラ氏釈放時(1990年)の出来事。反アパルトヘイト運動により終身刑となっていたマンデラ氏が釈放された意義を、自分ごととして感じていた人はあまりにも少なかった。

 

「ヒップホップが好きだったので、日本人のくせに黒人の歴史をすごく勉強してたんです。だから、マンデラ氏の釈放には超喜んで、自分のパーティで祝ったりもして。その後、氏が来日されて日比谷野外音楽堂でスピーチをすることになって、期待しながら行ったんです。そうしたら、客席の多くは政治系の組織や団体に集められた人たちで、話も聞かずにイカ喰ってビール飲んでる。もう、なんだこりゃ? って。問題意識を持っている奴は自分の周りだけで、それ以外の奴らとはわかりあえないと本気で思ったんですよ」

 

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■ヒップホップのオリジネーターたちとの出会い

 

その後、会社に勤めながらも空いた時間を使い、ビートやリリックを作り始めるまで時間はかからなかった。やはりヒップホップへの衝動を完全に抑えることはできなかったのだ。

 

「その頃、”ヒップホップで人生が変わったけど、子どもができたからその夢も捨てるよ”みたいなリリックを書いて。その曲を来日していたアフリカイスラム(ヒップホップ界の大物)に聴いてもらったら、『すぐにレコーディングしよう』って。もう、キターーー!!! って感じ。次に来日したときにライブを見せてくれって言われてセッティングしたら、メリー・メル(社会派ヒップホップの先駆者)とかまで来てくれて。そこでその曲をやったらスタンディングオベーションしてくれたんですよ」

 

ヒップホップのオリジネーターたちに認められたZeebraさんの心は揺れ動く。

 

「でも、子どもがいたしサラリーマンをしていたので、いいタイミングがきたら動こうと。会社勤めしながらレゲエDJをしていたランキン・タクシーさんもいたから、そういう生き方もありだなって」

 

会社勤めが凝り固まっていた思考を解きほぐす一種のリハビリとなり、コミュニュケーションの重要性にも気づき始めたジブラさん。サラリーマン時代はひとつの社会勉強だったと振り返る。そんな折、またもや人生の転機が訪れる。

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この情報は2016年7月23日現在のものです。

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