連載
名刺を捨てた男 #008 伊達みきお 03/04

「人生3回のチャンス」は去ったのか、まだなのか

■相方と2人、10年間のアパート暮らし

1998年9月に2人はコンビを結成。そして男2人が暮らしたのは板橋区の家賃6万8000円のアパートだ。伊達さんは上京するときに、自分が大学へ行ったと仮定して、芸人を目指す期間として4年間を自分に与えた。

 

とはいえすぐに仕事があるわけでもなく、生活のためにアルバイトに精を出すことになる。アルバイトに時間を取られて営業や舞台に立つ時間が減れば、何のための上京だったのか。そうやって夢を諦めていく人が多いなかで、伊達さんと富澤さんは違っていた。

 

「どんなに生活が苦しくても、前の人生を振り返らないようにしていました。でもそれはひとりだったらできたかどうかわかりませんね。2人でいたからこそ、夢を語り合え、支え合えた。お互いの存在が大きかったと思います。

 

いま、養成所でコンビを組むという芸人が多いなかで、僕らのような高校時代の仲間が、一緒に上京してお笑いに挑戦するというのは珍しいケースなんですよ。」

2人の生活は、どこかラグビー部の合宿所の延長線――そんな気持ちがあったから、必要以上に深刻にならず、あぐむことなく、10年間をともに暮らすことができたのかもしれない。

 

明日も頑張ろうと仲間同士で励まし合うように、夢を語り合う日々は、伊達さんに一度たりとも、お笑いに挑戦しなきゃよかったと思わせなかったのだから。

 

少しずつライブではウケるようになってきたものの、テレビには縁がない日々が何年も続いた。4年という自分に許した期間はとうに過ぎて、30歳は目前である。さすがに焦りを感じ始めた。

画像:サンドイッチマン 伊達みきお

■2人分のチャンスが一度にやってきた

「年齢はやる気を喚起するのに大きな理由になりましたね。男の分岐点は30歳で、このときに何をしているかが、その後の人生を決すると考えてたからです。

 

しかもボクらが30歳になる2005年はすぐそこでした。でもね、よく人生にチャンスは3回って言うでしょう。ボクの3回はもう来てしまっているのか、それともチャンスは来ていないのか、本当にくよくよと考えましたね。売れる人は何を持っているんだろう……とかね」

 

お尻に火が点いた2人、ライブへの出演を重ねて腕を磨いた。そして2007年、30歳を少しばかり超えてしまったけれど、史上初となる「敗者復活」からの「M-1グランプリ」優勝を果たし、4239組のトップに立った。

 

それ以降の活躍ぶりは改めて語ることもないだろう。「このときにボクら2人分、6つのチャンスがいっぺんに来たんです」。なるほど、チャンスにはこんな使い方もあるのか。

 

「売れない時期、仙台に帰りたいなーって思うこともありました。たとえひもじい生活をしていても、おいそれと戻ることができない。いや、やめるきっかけすら見つけることができない状況になっていましたね。

 

あ、でも富澤と2人で仙台に逃げ帰ったことがありましたよ。理由はおっきなゴキブリが出たから(笑)。ボクら、それまでゴキブリを見たことがなくて、動きは速いし、死なない。『これがゴキブリか~』って、関東の洗礼を受けました」

この情報は2016年5月15日現在のものです。

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