連載
名刺を捨てた男 #008 伊達みきお 02/04

ある人の死がお笑いの道へと導いた

■3年間続いた富澤さんからのラブコール

「就職したのは1992年で、当時の手取りは1516万円くらいでした。相方ですか? あいつは迷いなく芸人になると決めていましたから、就職はせずにずっとバイトしていましたね」

 

高校のラグビー部時代からの友人だった富澤たけしさんから、「コンビを組もう」と声を掛けられるようになったのは、就職して2年目に入ったころ。1年目の頑張りが認められ、仙台本社で一番大きな地区を任されたばかりだった。

 

「ことあるごとに富澤はラブコールをくれていたんですが、ボクは仕事に一生懸命でそれどころじゃなかったですね。新しいエリアを任されたばかりで、その仕事を放り出すわけにはいかないし……。

 

それよりも専門学校を3か月で辞めてる人間が、今度はコネで入れてもらった会社を2年経たずに辞めますなんて、オヤジにはとても言えませんでした」

 

伊達さんは周りの人からとても愛され、大事にされていたのだろう。あの人懐っこい笑顔で、誰とでも仲良くしていたに違いない。

 

辞められなかった理由は、コネなどではなく、尊敬できる先輩に囲まれて、やりがいのある仕事と向き合う日々にいるなかで、「お笑い」という世界が現実味を帯びていなかったのではないか。

 

しかし就職して5年。ついにラブコールを受け入れ、会社を辞めるときがやってきた。

 

「大好きなおじいちゃんが亡くなったんです。あぁ、人生なんてあっけなく終わってしまう。急いでやらないと間に合わない――そう実感しました。

 

それまで介護の仕事でも、人の死に向き合ってきました。たとえば、どなたか亡くなると、使っていた介護用ベッドは葬儀社よりも先に引き上げなくてはいけないんです。

 

ベッドのあるところに祭壇を設えるからです。ベッドが邪魔なんですね。そういう面では、結構しんどい思いをしましたね」

 

伊達さんは心の中は、いろいろな人の死によって、考え方が少しずつ変化していったのだろう。そして最後に背中を押したのが祖父の死だったのだ。

 

24歳になっていた伊達さんは富澤さんとともに夜行バスに乗って、東京へ向かった。

画像:サンドイッチマン 伊達みきお

■「伊達にそういう血は流れていない!」

「父は昔かたぎの人で、しかも金融関係に就いて、まじめにコツコツ働いている人でしたから、『仕事を辞めて芸人になります』なんて言って、笑って許してくれるような人じゃありません。

 

学校、仕事と短期間で辞めて、フラフラしていると父の目には映ったんでしょう、『伊達にそういう血は流れていないッ!』と一喝されました」

 

家族の歴史を追う『ファミリーヒストリー』(NHK)で、「父親から芸人になるときに『伊達の名前は使うな』と言われました」と言っていたシーンを思い出した。

 

番組内で息子について語る父親の姿は息子を応援する好々爺だったが、考えてみれば当時の父親は現役バリバリ。伊達の名を誇りに思う父親にとって、息子の行動は奇怪に映ったに違いない。

 

「母親はね、好きなことをやればいいんじゃないというタイプでした(笑)。そして、もうひとつ背中を押してくれたのは、会社で社長と本部長に辞めることを伝えたとき、『お笑いは人を笑わせて、和ませて、癒す。福祉のひとつの形だ』と、快く送り出してくれたこと。

 

そのとき改めて素晴らしい人と仕事をしていたのだと実感しましたね」

 

そう話す伊達さんの目には少し涙が浮かんだように見えた。だが、聞いているこちらの方が感動して泣きたくなってしまった。

 

伊達さんがすぐに芸人に転向しなかった、できなかった理由が理解できたからだ。こんな素晴らしい人と離れたくない。

この情報は2016年5月15日現在のものです。

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