連載
vol. 32┃Snow Peak Apparel〈インタビュー編〉

山井梨沙がイチから育てたアパレル事業は茨の道だった

10cmのヒールを履いてアウトドアとは無縁の日々

 

編集部:1歳半からキャンプしていたそうですが、ファッションも同じぐらい好きだったんですか?

 

山井:キャンプはもう、好きというか生活の一部って感じでしたね。家族でキャンプしたのは中学が最後。ファッションは小さいころから興味があって、小学校3年生のときには自分でミシンを踏んで洋服を作っていました。

 

キャンプを離れてからはアウトドアとも無縁で、10年以上ファッションにどっぷり浸かってましたね。足元はいつも10cmのヒール(笑)。モード系ファッションにしか興味がありませんでした。

 

だから学校も服飾の大学と大学院を出て、その後はコレクションブランドでアシスタントデザイナーをやっていました。

 

編集部:「Snow Peak Apparel」のイメージからは想像できないバックボーンですね。

 

山井:よく言われます(笑)。でも、父親が新潟に山を買って、キャンプ場のなかに新社屋(「Snow Peak Headquarters」。2011年4月竣工)を作ったのを目の当たりにして、衝撃を受けたんです。

 

というのも、自分が小学生のころに、よく父親が『山を買いたい』と言っていたんですよ。それを実現したことに驚きましたし、同時に、スノーピークは今までにない文化を創造できる会社なんじゃないかと、改めて感じて。

 

自分なら、キャンプに似合うスタイリッシュな洋服を作れるんじゃないかという気持ちで履歴書を送りました。

画像:snowpeak

編集部:入社から立ち上げまでは苦労の連続でしたか?

 

山井:そうですね。社長からは「好きにやっていい。口出しはしない」とは言われたものの、新規事業ですし、ひとり部署です。まずは事業計画と収支計画。次にブランドのコンセプトシートを作って取引先の開拓。

 

サンプル商品ができたらトランクに詰め込んで世界中に営業に回りました。最初の1年はとにかくがむしゃらに動きまくってましたね。あまり記憶がないです。

 

編集部:ファーストコレクションのお披露目が、日本ではなくアメリカ。なぜアメリカを選んだのですか?

 

山井:アメリカの展示会がタイミングとして一番早かったというのもありますが、度胸試しですね。当時、アメリカでスノーピークと言えば、チタン製のマグぐらいしか出回ってなくて。

 

ファッション業界では無名のブランド。それでも、買ってくれる欧米のバイヤーがいたのですごく自信につながりました。

 

編集部: 欧米だとアウトドアブランドの競合がひしめく印象がありますが、懸念はありませんでしたか?

 

山井:エクストリームに特化した素晴らしいブランドは確かに多いですけど、わたしたちが提案しているのは、街から一歩出たところで自然との関わりによって豊かに暮らすということ。

 

アウトドアというよりは、街での生活に基盤をおいている人にとって意味のある洋服だと思っているので、直接的な競合とは考えていませんでした。

 

ファッションをきっかけにアウトドアに興味を持って、ライフスタイルの一部としてアウトドアを楽しむ人が増えるというのが目標なんですけど、まだユーザーの調査とかができていないので、そこは今後の課題ですね。

 

 

 

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